金春湯について
創業
文久3年(1863年)、金春湯は銀座に開業しました。
当初は木造建てでしたが、昭和32年に改築し、ビル内に銭湯を構える現在の形になりました。改築当時はビル内に銭湯を構えることは珍しいことでした。また、周囲に高い建物がなく、このビルが一番高い建物でした。
名前の由来
よくお客様から「きんしゅんゆ」、「かねはるゆ」と間違えられますが、正しくは「こんぱるゆ」と読みます。金春という屋号は、江戸時代、この界隈に金春流の能役者の屋敷があったことから発せられています。
金春屋敷跡
江戸時代には、幕府直属の能役者として、宅地や家禄を支給されていた家柄に金春(こんぱる)・観世(かんぜ)・宝生(ほうじょう)・金剛(こんごう)の四家あり、金春屋敷の拝領は寛永四年(1627)であった。
金春家は四座のうち、もっとも伝統古くて室町時代以来栄え、慶長十二年(1607)には観世大夫とともに江戸で能を演じた。
金春家の屋敷は、寛永の江戸庄図に「金春七郎」と記し、現在の銀座八丁目六・七・八番全体を占めていたように図示されている。この屋敷は後に麹町善国寺谷(千代田区麹町三・四 丁目)に移ったが、金春の名は、この付近の芸者屋敷の称として残った。
昭和53年 中央区教育委員会
東京の銭湯・今昔
東京都内の銭湯は昭和12年には約2,900軒※1の銭湯が営業していましたが、昭和20年の東京大空襲により約400軒に激減しました。その後は復興を遂げ、
昭和43年には2,687軒まで回復しました。しかし以降はその数も減り、現在では約433軒※2の公衆浴場が営業しています。
昭和43年の時点では銀座だけでも8軒の銭湯が存在しましたが、現在では1丁目の公設「銀座湯」と、こちら8丁目の「金春湯」を残すのみとなってしまいました。
※1…当組合の組合員名簿による
※2…令和6年5月現在